一日中央教育審議会(東京)報告
報告 中村元彦
日時:平成14年11月30日(土)
開会13:30/閉会16:00
場所:有明・東京ビッグサイト
僕は新橋からゆりかもめでビッグサイトに向かいました。途中、お台場やパレットタウンにとまるゆりかもめ。とってもいい天気だから、カップルや子供づれの乗客の多くが降りていきます。ああ、この人たちに大声で教育基本法のこと伝えたい!と思いつつ、僕は国際展示場正門駅で下車。東京ビッグサイトまでは歩いてすぐです。
●公聴会は厳戒体制で
会場は7回大会議室。7階までの長いエスカレーターを上っていくと・・・、そこには黒いスーツ軍団が待ってました。物々しい!! これが第一印象。公聴会にこんなに警備が必要なのかな、って思ってしまいます。
受付で傍聴券(はがき)を見せ、身分証の提示を求められました。僕は運転免許証を見せたのですが、住所が田舎のままです。受付の女性に、
「住所が違っていますね。確認のため口頭でお願いします」
と言われてしまい、現住所と電話番号を伝えました。受付の人は、PCを見ながら確認。
ようやく、資料と青いリボン(着用強制)をもらえました。それと「審議会でのお願い」というプリントも。これには、荷物はクロークに預けろとか、手荷物検査やボディチェックに協力しろとか、会場では係員の指示に従えとか書かれてありました。
会場に入るときは空港と同じような厳しい手荷物検査と金属チェック。僕はビビーッと鳴ってしまい、体中を検査されました。ベルトと、胸ポケットに家の鍵が入っていたのが原因。かばんの中も見られましたが、なんとか入場できました。
席もだいぶ傍聴者の方々で埋まってきました。500名の定員ということでしたが、新聞によると当日の傍聴者は350人だったそうです。話によると650名以上が応募してきたため抽選になったそうです。傍聴者には、スーツのおじさんもいれば、普通のおばさんもいる。学生のような若い人も数人見えていました。
でもやはり20代から30代ぐらいの方は少なかったなあというのが僕の印象です。
●最初に「改悪ありき」?
13:30。ぴったりにスタートしました。まずは鳥居中央教育審議会会長からの挨拶です。
広く国民から意見を聞き検討していきたいだと!? 決して交通の便がよいとはいえないこの場所で開いておいて、第一ちっとも宣伝もしないでおいて!!公聴会だって全国でたった5箇所だぞ!!
HPで意見募集をしていますが、このこともちっとも宣伝していません。インターネットをできない人は調べることも意見することもできないなんて。これで「広く国民の意見を聞きました」なんて言えるのでしょうか!! 絶対絶対おかしいぞ!!・・・と心では思いつつ、その場は静かに聞いていました。
次は遠山文部科学大臣挨拶。簡単な挨拶の後、スッと退場。退場にあわせて壇上でずっと僕たちを睨んでいた黒服3名も一緒に退場していきました。なんなんだ、この厳戒態勢は!
出席委員紹介の後、中間報告の概要の説明が鳥居会長からありました。日本よりも先に他の先進国(サッチャー政権、レーガン政権)が教育改革をしていることをことさら強調していました。また、現行教育基本法は憲法施行より前に施行された法律だから、帝国議会が作ったものである、施行より55年間1度も改正されていないなどと話していました。
言葉にはしませんが、「だから改正しなくてはならない」と後ろに付くのがありありです。やっぱり少年法の時と同様、「最初に改正ありき」なのですね。あ、「最初に改悪ありき」ですね。
●賛成6名、反対2名の意見発表
このあと、意見発表となります。希望者が86名と多かったため、予定の6名が10名になったということでした。一人8分での発表ということです。時間になると「ピーッ、ピーッ」という音が鳴り、10分経過するとマイクが切れるとのこと。これを司会が伝えたときは、会場中爆笑。僕の隣のスーツ姿のおじさんは、「さっすが、権力のやることは違うよ」って隣のおじさんと話していました。
意見発表者は男性7名。女性3名。新聞報道にもありましたが、僕も改正賛成者が6名、反対者が2名と感じました(どちらかはっきり表明されなかった人が2名)。女性は3名とも猛烈な改正賛成者。「中間報告に大いに賛成」だとか「早く改正されることを願ってやまない」だとか話していました。
教育基本法を変えるべきではない。実現が大切。(都立高校教員)【会場から拍手】
誰が日本から“故郷”を奪ったのか? そんな奴らに“伝統・文化うんぬん”と言えるのか。(同)
日本の教育は政府の決めた教育だけが実践されている、先進国でも珍しい国。教育について自由度が低い国であり、いつも中央からの改革ばかり。(自営業)
「教育を受ける権利」ではない。「教育への権利」なのではないか。教育をつくる権利もあるのではないか。主体的で創造的な市民を生むためには、非主体的、非創造的なやり方では無理。(同)
PTAが校長を選び支えるようなアメリカのような、地域と密着した教育を。(校長の学校を規律化を支持)(塾講師)
戦争を反省するあまり、わが国が長くかけて作ってきた伝統・国家・文化を疎んじるべきではない。(主婦)
日本民族の不行跡ばかりを強調する教育はよろしくない。(同)
ジェンダーフリーの行き過ぎを危惧。(同)【会場からのどよめき】
「国を愛する心」が盛り込まれたことが意義深い。「愛国心」でもよかったのに。愛国心を回復し、日本のほこりを復活させる。(元民生委員)
「個人の尊重」という美しい言葉の魔力に惑わされていた。公共心を強調するべき。(同)
今の子どもたちには、日本人としての伝統を理解する心が欠けている。茶髪の生徒には、与謝野晶子の「・・黒髪・・」や、雛人形に茶髪はないことなどから、「黒髪は日本の文化・伝統だ」と教えるべき。(静岡県高校教員・国語)【会場爆笑】
だいたいこんなところでしょうか。改正賛成の発言者のほうが人数も多く、毅然とはっきり「改正賛成」と発言する人が多かったため、会場の改正反対者の不満はどんどんどんどんたまっていったような気がします。僕だってムカついてきてました。
●傍聴者からの質疑に、「警察を呼べ!」
残り30分の短い質疑応答です。質疑応答といっても委員と意見発表者との質疑応答であり、傍聴者は傍聴者。じっと我慢して聞くのみです。だからだったのでしょうか、とうとう会場から若い人が声を発しました。僕の3列前の男性でした。司会が発言をやめてくださいと言っても彼はいっこうに発言をやめません。スタッフ、警備員も集まってきて、10名近くの男性に囲まれます。でも彼は発言をやめませんでした。
「会議の進行を邪魔しないでください」「早く退場させてください」という司会の発言。そして「警察を呼んで退場させてください」という発言まで!!
他の傍聴者からもいろんな声があがり、会場が混沌としました。数分後、結局彼は退場させられ、会議も元に戻りましたが。
それにしても、警察を呼ぶ!? この発言に恐ろしさを感じてしまいました。僕たちはただ中教審を傍聴しにきただけなのに。なぜこんなにも「民主主義」が制約されるのか。改めて考え、文科省に対し抗議していかなければならないことではないでしょうか。
質疑応答が続きます。中村桂子委員の質問に対し、ブラジル人の女性と結婚された自営業の男性は、
中教審のたった一つの解答が日本人全員に受け入れられるのは無理。学校でルールのように「国を愛しなさい」と言われれば、私の子は日本を愛するとは思わない。
どういう教育が行われるべきかを細かく教育基本法で規定すべきではない。これでは政府の統制になってしまう。戦前も戦後も政府に選ばれた教育を受けさせられたという意味では、日本の教育は変わっていない。
と、こちらが納得できる答えを返してくれました。
閉会4時近く。河村文部科学副大臣のご挨拶で幕を閉じます。副大臣は、「現場のつらい状況を考え、どうすればよいかを考えていくべき」などと、なるほどと思うことをどんどん並べていきました。まさしくその通りですよね。でもそれって、教育基本法を「改正」しなくたってできるじゃないですか! やはり「はじめに改悪ありき」だなって思ってしまいます。
最後の最後、ここで会場爆発!! 会場のあちこちから声が飛び、さきほど退場させられた人の隣の若者たちが、「改正反対」と書かれたタオルサイズの布を取り出しアピール。マスコミもパーッと集まってきました。こうした会場がざわついた中でいつのまにか公聴会は終了してしまったのです。
いかがでしたでしょうか。少しは東京公聴会の模様がわかっていただけたでしょうか。僕たち改正反対者にとってはもどかしい会議でした。意見発表者は「賛否のバランスを反映させて人選した」と文科省は言いますが、どうしても恣意的なものを感じてしまいます。こんな公聴会を全国5箇所でやって、「はい、国民の意見も聞いた。じゃあ、改正しましょ」では泣くに泣けない!! このまま数の多いほうの意見が通るということではなく、改正賛成者も反対者も、もっともっと民主主義的な議論を続けていかなくてはならないなと感じました。
それには、とにかくこの問題に無関心な人、関心あっても機会がなかった人などに僕らの意見を伝えていくことは大切でしょう。そのため公聴会の後、僕たちは有楽町マリオンという、東京銀座のど真ん中にあるビルの前でビラ配りなど、アピール運動をしてきました。時間は午後5時から6時20分ぐらいまで、総勢30名弱。ミニスカートサンタクロースの服でビラを配ったり、くまさんとパンダさんの着ぐるみを着てビラを配ったりしました。またギターで歌って、公聴会の感想をリレートークなどをして、なかなかの盛り上がりだったと思います。
さあ、この号がお手元に届くころには、東京以外の公聴会も終了しているころでしょう。いったいどんなことになったのかな。次号以降でお伝えできればと思っています。
<通信02.12月号より>
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