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ここがおかしい少年法改正案
少年法改正案をめぐる国会での攻防もいよいよ大詰めである。元々内容が無謀である上に、衆議院で予想だにしなかった強行採決という暴挙に遭遇、最も手荒い扱いを受けたのが、少年院法の改正部分であったと思う。 昭和24年に改正された現行の少年院法は、非行に到った少年を少年院に送致することのできる年令を14才以上と定めている。当時14才以上と定められた根拠については、衆議院法務委員会で野党の質問に答え、法務大臣が珍しく明快な答弁をしている。最も自分の言葉ではなく、改正時の提案理由を資料から引用して述べているので、不明確になりようがないのだが。下記に記そう。 法務大臣答弁 「14才に満たない少年は、これを14才以上の犯罪少年またはぐ犯少年と同一に取り扱うことは適切ではなく、もしこれに収容保護を加える必要のあるときは、すべてこれを児童福祉法による施設に入れるのが妥当と思われ、また少年院の運用もその方が一層効果的になるので14才未満の少年は少年院に収容しないことにした旨の説明がなされている」 なんと過不足のない提案理由であろうか。昔の人はこんなにすっきりものが言えたんだ。と感心した。 この提案が了承されて、14才という刑事責任能力が備わる年令を基準に、児童福祉施設と少年院の住み分け、役割分担が決まったのである。言い換えれば14才未満の少年に対しては児童福祉優先、児童相談所先議が確立したのである。以後60年間、少年院は一日たりとも14才未満の少年を扱うことはなかった。それに引き替え、児童自立支援施設は今よりはもっと触法事件が多かった時代も含め、重大事件ケースや、処遇困難ケースのことごとくを一手に引き受けてきたのである。私の実務経験からいっても、最初に児童自立支援施設にかかる子と、最初に少年院にかかる子とではその生育歴上,環境上抱える問題の重さが違っていた。つまり初発非行の年齢が低い子ほど境遇上の負因を抱えている度合いが強く、そのために、身近な大人との愛着関係が形成されず、大人に対する信頼感や、自己肯定感が育っていない場合が多いのである。話は余談になるが、この状況にいち早く気づいたのが、福祉実践の先駆者となった留岡幸助であった。 彼は北海道の空知集治監(監獄)で教誨師をしていたとき、囚人たちの生育歴を丹念に調べ彼らの8割近くまでが14〜5才の頃に非行少年であったことを知るのである。そしてその非行の原因が家庭の欠陥にあることを痛感する。犯罪をなくすにはこの少年たちに手をさしのべることだと悟り、少年感化事業に一生を捧げることになる。子どもの教育にとって何よりも大切なものは家庭であるとの信念から、不良少年の教育には、まず家庭的な愛が必要と痛感し、教師夫婦が寮長寮母となって自分たちの子どもも共々少年たちと寝食を共にする拠点として夫婦小舎制を考案し(当時一小舎15名規模、少年の年令は8才〜16才)自らも寮長となって家族ぐるみで少年たちの育成に取り組む。一小舎には学課用の教場、食堂がそれぞれ備わっていた。彼は3つの感化院を設立するが、いずれもこの夫婦小舎制の手法を中心に据えて、名称も○○家庭学校と名付けた。北海道家庭学校は留岡幸助が創設したもので、数少ない私立の児童自立支援施設として今に脈々と生き続けている。 脱線ついでにもう一つ言うと家庭学校には鍵も塀も設けられなかった。幸助は内からの発達を重視し、生徒自らが啓蒙されて変わらなければ拘禁したとしてもそれが解けた場合にはやはり立ち直っていなかったと言う結果になりかねないと考えていたといわれる。 幸助の家庭学校での成果は全国的に共感を呼び各地に伝播した。その理念と手法は今も色あせず児童福祉的アプローチの原点として、戦後も教護院、後名称が変わったが児童自立支援施設へと引き継がれてきたのである。 さて本題に戻ろう。今回の改正案は、当初の政府案では少年院送致年令の下限を撤廃するとなっていた。政府の答弁は迷走し、法務大臣の「5才もあり得る」との珍説が引き金となって突然「おおむね12才」案が、与党の修正案として飛び出してきた。私は、当初の政府案は一種の本音隠しであったと思っている。つまり引き下げ幅は、改正を意図するきっかけとなった長崎、佐世保事件の少年の年令を含むものでなくてはならなかったのだろうが、それを最初から露骨に出すことには躊躇があったのではないかと思う。 「おおむね12才」という本音を出さざるを得なくなってから、法務省、政府答弁にも本音が出るようになってきていると思う。 15日の参議院法務委員会の審議から 野党議員 「昭和24年に確定した14才を基準に未満は児童福祉で、以上は少年院でいくという考え方ではいけないのか。現状がそんなに変わっているとは思えないのだが」 法務省刑事局長 「現状に鑑みますと、14才未満であっても凶悪重大な事件を起こしたり悪質な非行を繰り返し、深刻な問題を抱えるものに対しては、早期に矯正教育を授けることが改善更生をはかる上で必要かつ相当と認められる場合がある」 野党議員 「小学生は少なくとも集団教育を主とする少年院に入れるべきではないのでは?」 法務大臣 「少年院は刑事責任をとらせるところではない。立ち直り、育て直しをやる機関である。開放施設になじまない子もいれば、少年院になじまないケースもある。個々のケースによって検討して考えて貰う。小学生だからといって認めないことはより不適切であると思う。」 ずいぶん荒っぽい答弁である。法務大臣が児童福祉領域の言葉である育て直し(育ち直し)という言葉を少年院の教育内容として使い、刑事局長は14才未満の子に入院したその日からバリバリ矯正教育を施すような言い方をしている。 うっかり言ってしまったのかどうかは別として、 改正を提案している側の強気と弱気をよく現している。 14才未満ではあっても、世間を騒がすような重大事件を起こした少年は、何が何でも身柄の確保と隔離だけは実現しなければの思いが強気発言になり、そうはいっても年少者の処遇は、児童自立支援施設の方に実績があり、その手法は有効でもあるので取り込まざるを得ないだろうとの思いが、弱気が垣間見える発言となったと思う。 そのことは、その後法務省が発表した、14才未満の少年が少年院に送られた場合の処遇プログラムの一端の中にもよく現れている。 試案の段階であるとのことだが、その中身は次の通りである。 14才未満の少年は、身柄は少年院内に拘束するが、処遇は児童自立支援施設の手法を取り込み、父母役の男女教官二人に精神科医、カウンセラーなどを交えた擬似家族様のチームを作り、少年集団とは切り離し、別空間でチーム処遇するというものである。このような機能を持つ少年院を全国に8カ所作りたいとしている。これは矯正教育でもなく、育ち直しでもなく、むしろ二重隔離の孤立処遇とでも呼びたくなるもので、いかにも苦しい試案としか言いようがない。勿論前述した留岡幸助が思いを込めて編み出した「夫婦小舎制」とは似ても似つかないものである。 参議院ではあまり議論になっていないが、14才未満の少年を拘禁することは刑事責任能力との関係で重要であり、議論を避けて通ることはできない。 法務大臣は、「少年院送致は、刑事処分ではないから刑事責任能力とはリンクしない」と言うが、昭和24年に児童福祉法、少年法、少年院法という3つの法律の中で14才以上と14才未満という年令区分が確定するとき、関係省庁、改正に関わった人々が誰も刑法41条の刑事責任能力14才の規定を意識しなかったとは到底考えられない。その年令から実質3才も引き下げて、拘禁隔離する処分が法に触れないのか。そのことをまず審議してほしいと思う。もし刑事責任能力と少年院送致年令がリンクしていないと言うなら、では現行法の少年院送致年令(14才以上)は当時何が根拠だったのかを明確に示してほしい。 児童自立支援施設の存在も再確認すべきである。実績を検証し、その整備拡充を強化してほしい。虐待の増加もあるが、長い間の福祉予算の切り捨て政策のあおりで多くの施設が疲弊していると聞く。予算不足と時代の流れもあって夫婦小舎制の担い手が少なくなってもいる。交替制勤務の導入で転勤が恒常化しつつあり、以前のように濃密な人間関係が教官と子どもたちの間に形成されにくくなっているとも聞く。 これこそ児童福祉、少年司法の危機ではないか。改正案審議の前にやらなくてはならないことだと思う。 |
− 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (子どもと法21) − | |||