世間では子どもへの性被害(子どもに限らず)がようやく剣に取り上げられるようになってきたようです。性的ないやがらせや、性的虐待、わいせつ目的の事件。そんなニュースを見るたびに、被害にあった子どもたちの傷の深さを思い、頭が痛くなります。今回から数回、自分の体験を書きながら、性被害についてちょっと考えてみようかなと思います。

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(2) 兄

 兄がどうしてあんなことをしたのか、今でもよく分からない。

 私が10才か11才の頃(季節は夏)、確か私と妹が一緒の部屋で、中学生の兄が隣の部屋で寝ていた。
 その日の夜中、何故か目が覚めた。いつもはそんな時間に目が覚めたりしないのに。部屋のドアが音もなくゆっくり開いた。暗がりでよく分からないがドアの所に人影が見える。・・・兄だ。兄が立っている。何をしに来たんだろう? 音もなく忍び込んできた姿に本能的に恐怖を感じた。隣では妹がぐっすり眠っている。私は体を固めたまま寝たフリをしていた。兄はそのまま忍び足で私の方に近寄ってきた。次の瞬間、兄の両手が伸びてきて私の性器を愛撫し始めた。体が凍りついた。ちょっとの間恐怖で動けなかったが、我に返ってバッと下半身を動かした。兄はビクッとして手を引っ込め、サッと逃げるように部屋を出て行った。ショックで私はベッドにうずくまった状態のままでいた。
 少しして兄がまた忍び足で私の部屋に入ってきた。また来た! とっさに私は起きあがり、枕元にあった兄に借りてあったマンガ本を指差し、「何?これ取りに来たの?」と聞いた(それが目的でないことはわかっていたが)。兄は私が起きているとは思わなかったようで、慌てながら「あ、う、うん。」と答えた。私がマンガ本を強引に手渡すと、兄はそれを受け取り部屋を出て行った。
 兄が自分の部屋に戻ると、私は自分の部屋を出て階段を降り、両親の寝室へと向っていった。そして母を起こし、泣きながら自分の性器を指し、「お兄ちゃんがこういうとこ触る」と訴えた。母はちょっと驚き、私に母のベッドで寝るように言い、自分が私の部屋で寝ると言い、2階へ上がっていった。私はショックが冷めないまま母のベッドで一晩を過ごした。
 次の日の朝、気分はドーンと沈んでいた。まだ子どもで眠っていた性が無理矢理引きずり出されたような感覚。母が「お兄ちゃんにはお父さんからよく言ってもらうからね。」と言った。私は一安心し、その日から4〜5日は母のベッドで寝たように思う。兄は父になんと言われたのだろう。父は昔から神経質で子どもが苦手で怒り方も下手だ。ヒドく怒られたのだろうか。あんなことをされながらも、まだ心のどこかで兄を心配する自分がいた。
 自分の部屋に戻って寝るようになってからも、しばらくは安心して寝ることができなかった。いつまた兄が忍び込んでくるか分からない、という不安が常にあった。神経質になってドアが少しでも開いているといたたまれなかったり、母が無神経にドアを開けたまま出て行くことに対して、ものすごく怒った。無理だと思いながらも、「部屋にカギをつけてくれ」と頼んだりした。その度に母は「子ども部屋にカギなんかつけるわけないでしょう。」と笑って言った。母は確かにあのとき適切な対応を取り私を守った。それはとてもありがたかった。ただ、それ程大したことではないとも思っていたようで(10才くらいの私には十分ハードな出来事だったのだが)、その後の私に対する精神的・環境的なケアが十分とは言えなかった。 
 考えてみれば、あの出来事が起る以前から兄は性的欲求を示していた。そこそこの年齢になっても、いつまでも私と一緒に風呂に入りたがった。私は段々嫌になっていたけど、一緒に入らないと兄が怒るので、最後の方は半ば強制的に入っていた。そのうちどうしても嫌になり、母から兄に言ってもらいようやく1人で入れるようになったが、それでも風呂を覗いてくるようなこともあった。
 数年経っても、兄の足音に対して過敏だったり、兄に襲われる夢を見たりもした。私に対して、性的な視線を浴びせてくるようなことがしばしばあった。同じ家に住んでいるのだから、ある意味逃げようがない。私は必死に兄に対して「あんたは危険だ、私に近寄らないで」というバリアーを張っていたと思う。
 兄は中学の頃、体が大きくてスポーツのできる一匹狼タイプのワル(?)で、ある意味人気があった。家の中での身勝手さも年々ヒドくなっていき、この頃から兄は家族と食事をすることがなくなっていた。高校になると、母や私達を脅したり暴力を奮うようにもなった。今考えれば家庭内暴力だったのだろう。そんな兄を父は一切無視していた。兄が多数のアダルトビデオやエロ本を持っていることも分かっていた。男性がこういうものに興味を示すのは仕方のない、と頭で分かっていても、なんとなく嫌で汚らわしさを感じたりした。
 いつしか私は傍若無人に振る舞い、暴力に頼ったり、親から遊ぶ金をふんだくったり、性的ないやがらせまでした兄を軽蔑するようになっていた。兄と全く口を聞かなくなっていた。小さい頃とてもやんちゃでいたずら好きでどこか攻撃的で、いつも父に怒られ殴られ、母には苦手な勉強を無理にやらされていた兄は、ありのままの自分を認めてもらうことが出来ずどこかで屈折してしまったのだと思う。無理もないことだ。
 1年半くらい前、就職が決まり兄はようやく家を出て行った。彼女もできたようだ。
 最近になってようやく兄のことも少しは考えれるようになり、多少同情もできるようにもなった。兄も被害者だったのだ。しかし、今まで兄から受けてきたダメージを思うと、そう簡単に許そうという気にはなれないし、できれば会いたくないと思う。やはり心の中で兄を拒否している自分がいる。
 もっと時間が経てば、溝はうまっていくものだろうか。時が解決してくれるものなのだろうか?
 今の私には分からない。
つづく・・・

<通信06.4月号より>



(1) スクール・セクハラ

 小学校の頃、4・5・6年と同じ担任だった。40代で独身の「N」という男性教師。いつも同じ紺のジャージを着、太い黒縁の眼鏡をかけていた。 コイツを一言で言うなら「暴力・セクハラ教師。」女子生徒にはセクハラをし、男子生徒には主に暴力をふるう。

 セクハラの内容は様々だ。 授業中、指名されて黒板に解答を書くとき、上の方に書かなければならないとき手が届かない。するとN教師は私たちを抱っこする。「椅子を使うからいいです」と言っても、「抱っこしてやるから」と言われて結局やられてしまう。 小柄な子は腰の辺から抱えて持ち上げ、背丈のある子は脇の下を抱えて持ち上げる。この場合、N教師の手が胸に触れたりしてなんとも言えず気持ち悪い。みんな早く降ろされたいからサッと解答を書いてしまう。高学年になった生徒を教師が「抱っこ」している光景も妙なものだ。 そしてなぜか女子の方がやられる確率が高い。 抱っこする必要などない。椅子を使えば十分手は届くのだから。

 休み時間になるとN教師は、たまに女子を呼び自分の膝の上に座らせた。そして生徒の腰に手を回し、そのまましばらく抱えている。ときには頬に自分の顔をすり寄せてくる。はじめから1人の生徒を呼び寄せるときもあるし、何人かを前にして自分の膝に来るように言うときもある。当然みんな嫌だから首を横に振る。すると誰か1人を自分で引き寄せて座らせる。 私も何度かやられたが、やられている方はたまらない。そばで見ている他の女子達はやられている子を気の毒に思うが、内心「自分じゃなくてよかった」とホッとする。気持ちよさそうにしているのはN教師だけ。生徒は苦痛を感じているだけだ。そういえば肩叩きをやらされたりもした。別に密室で行なわれるわけではない。白昼堂々と他の生徒の前で行なわれるのだ。

 そしてこれは結構ありがちらしいが、定期的に行なう体重測定。小学校高学年というのにパンツ一丁。「恥ずかしい」の一言。発達の早い子はもうそれなりの体つきになっている。1人1人の体重を記録しながらマジマジと私たちの裸を見つめるN教師。顔はニヤけていて、「鼻の下をのばす」とはこういうことかと思うくらい、鼻の下をのばしている。アホか。 私たちは恥辱を感じるが「嫌だねえ、アイツまた(保健室まで)ついてくるよ」と言いながら、コイツの前で裸をさらして体重を測り、サッと着替えてしまうしかすべがない。保健の女性教師が「記録は私がとりますよ」と言ってくれているときも、N教師は「私の仕事ですから」と言って断ってしまう。 小学生とはいえ、身体測定は裸(パンツ一丁)で行なわなければならないものだろうか? とくに高学年の女子がそれを苦痛に感じるのは当然のことだ。 人権侵害じゃない? 私は低学年であっても身体測定は体操着で十分だと思うのだが。

 この他にもN教師は、何気なく体を触ってくるということがよくあった。水着のとき胸を触られたこともある。そんな奴だったから、水泳指導で足を捕まれるのも、書道のときに手を触られるのも嫌だった。 

 このようにN教師の生徒へのセクハラは日常的に行なわれていた。私を含めて3年間コイツが担任だった生徒は不運だった。私自身だいぶやられた。 ただ救いは被害が1人に集中せず分散していたことかな、と思う。みんなで痛みを分かち合ったり(?)、笑ってごまかしたりすることで耐えていたのだ。もちろん分散してりゃいいってもんではない。 セクハラはいけない。「教師」という立場を利用して、なかなか抵抗できない子どもに恥辱・屈辱を与え精神的に痛めつけるセクハラをするな。「情けない」の一言だ。 

 ちなみに男子に対しては、日々殴る(ゲンコツ)・デコピン・蹴るなどの暴力が向けられていた。(女子がやられるときもある。) このゲンコツがかなり痛い。とくに男子には容赦なくやっていて、N教師がキレたときは半端じゃなく、ケガをするんじゃないかと見ている方もハラハラする。クラス全員が立たされて殴られることもある。

 暴力・セクハラ・言葉での脅し・普段は冷静、ときにマジギレ。そしてどこかサディスティックなあの目付き。 優しいときもあったが、暴力と裏腹の優しさが私には気持ち悪かった。N教師の機嫌を伺いながら教室には緊張感が漂う。反抗すれば力で抑えつける。そもそも「抵抗する」という気持ちさえ抑えつけられていた気がする。N教師は、生徒を自分の感情と欲求の捌け口にしていたのだ。 
 一体この人はどんな風に育ってきただろう。 何故、教師なんかになったのだろう。

 「スクール・セクハラ」。 「教師」という立場を利用した卑劣な行為。 新聞でも徐々に取り上げられるようになり、罰せられる教師も増えてきたが、昔からあったし、きっとどこでも起っている。 もっと重い被害もたくさんある。 「小学生だから平気」とか「いちいち気にしてたらキリがない」とか、そんなのは子どもの気持ち・立場を無視した大人の勝手な言い分だ。 だって私達はその頃とても苦痛を感じ、少なからず傷付いていたのだから。

 何年か経ってN教師が別の学校に移り、そこではとても親切で優しく生徒に慕われているという話を聞いた。なんでもN教師は教育委員会から厳重に注意を受けた、ということらしいのだ。いい加減、保護者から苦情でも出たのだろうか。 ま、N教師がやってきたことを考えれば当然のことだろうが。

 しかし、いくら厳重注意を受けたからといって、やみつきのようになっていた暴力やセクハラがそう簡単になくなるものだろうか? 私は今でも半信半疑である。

<通信06.2月号より>

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