触法少年の処遇の中で、私が考える大切なもの
元家裁調査官の立場より

 私の実務体験の中でも感じてきたことですが、子どもは12〜13才くらいから、15〜16才ぐらいまでの間がもっとも混沌としていて不安定です。人生の中で破壊性、攻撃性が一番強い時期ともいわれる一方で、その成長発達の芽もめざましくふくらみ花開く時期でもあります。年少でつまずいた少年ほどこの成長発達を遂げられる十分な時空間と的確な支援態勢が保証されることが大切と思っています。

 一方で年少で非行に至る少年の中には、それまでの生育環境の中で、身近な大人との間に愛着関係を基盤にした信頼関係を築くことができなかった子が多いのです。幼少期に家庭的な愛情に恵まれなかった子どもたちはその後の人間関係の構築も不毛である場合が多く、自己肯定感を持つこともできない子が多いのです。この子たちは非行を矯正する前に育て直し(育ち直し)が必要です。両親のもとに帰すことができず、家庭に代わる預け先が見つからないとき、私たちの脳裏に浮かぶのは、やはり自立支援施設です。最近は小舎夫婦制の維持も難しくなっていると聞きますが、これらの少年たちと90年間に渉って寝食を共にされた体験の積み重ねは何物にも代え難く貴重であると思います。家庭的な暮らしに近い雰囲気が少しでもあり、より開かれ、より柔軟性のある形で個別処遇が可能な居場所はこれらの子どもたちには絶対必要です。そこで新しい大人とのよい出会いがあり、人を好きになり信頼し、自分が好きになることができて初めて立ち直りの第一歩が始まるのだと考えています。

 私は、刑事責任能力のない触法少年を、拘禁を前提とした、しかも責任追及的側面を持つ少年院に措置することができるのかどうかに疑問を持っていますが、同時に「重大事案は原則家裁送致」という部分にも大きな疑問を持っています。事案の軽重のみに焦点を当てた処遇の分類はいかにも刑事裁判の感覚であり、児童福祉の精神、少年法の理念に著しく乖離していると思います。2000年の少年法改正に始まった16才以上の少年の重大事件の原則逆送、刑事処分可能年令の14才への引き下げから、今日の改正案に至るまで、この国の為政者たちは。「子どもたちがなぜそのようなことをしたのか、せずにいられなかったのか、この子たちの再生のためには何が一番必要なのか」を顧慮することなく、無責任な社会感情との折り合いをつけるためにだけ躍起になってきたのではないかと思わざるをえません。少年が何をしたかだけでは少年審判はできないはずです。

「第1回触法少年に関わる少年法〔改正〕について」のミニシンポジウム(04.11.2)レジュメより

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