緊急!「触法少年を少年院送致、触法少年について警察が調査権をもつ、保護観察少年が遵守事項を遵守しないと施設収容措置を可能にする法整備」・・何が問題なのか
はじめに
「14歳未満でも少年院収容可能 法務省が少年法制改正案」という報道がなされた(以下は朝日新聞8月26日による)。
これによると、「法務省は少年犯罪の悪質化、低年齢化に厳しく対応するため、少年法制改正要綱案をまとめた。家裁の決定でいったん保護観察処分と決まった少年であっても、その後の行動次第では少年院送致に処分を変更することを可能とするほか、刑事責任が問えない14歳未満の少年が起こした事件の場合でも警察に強制調査権を与え、現行14歳の少年院収容年齢の下限撤廃なども盛り込んだ。今秋、法制審議会(法相の諮問機関)に諮問し、来年の通常国会で少年法改正などの法案提出を目指している。」という。
同新聞の解説によれば、
「近年、小・中学生が人を死なせる事件が目立つほか、非行を繰り返す少年が絶えない現状に対処しようと厳罰化を進めるのが狙い。だが、少年の福祉・教育を重んじる少年法の理念と相いれない部分もあり、専門家や国会の中で議論を呼びそうだ。現行の保護観察処分はあくまでも家裁の終局的な決定として執行されている。例外的に将来犯罪を起こす恐れがある場合に、現行の制度でも保護観察中の少年を少年院に入れることができるが、要件が厳しく、ほとんど使われてこなかった。今回の改正でこの要件を拡大。犯罪の恐れがなくても「自宅に帰らない」「元の不良仲間とつきあい始めた」といった、順守事項を守らない少年について、家裁で審判できる制度に改める。順守事項を守らない少年にはまず保護観察所長が警告し、それでも改まらない場合は、家裁が少年院送致する決定ができる二段構えの制度とする。また、加害少年の親の責任を問う声が強まっていることを踏まえ、保護観察所・少年院による保護者への指導権限を明記する。さらに、刑事責任が問われない13歳以下の触法行為への対策を強めるため、14歳が下限となっている少年院収容年齢を撤廃する。ただし14歳未満の少年院送りは、事件の深刻さや対象者の抱える問題を見極め、「特に必要な場合」に限定する。現在の触法少年の受け皿である児童自立支援施設は本来、家庭の事情で親と生活できない子どもたちの保護を担っており、更生に向け高い専門性が求められる触法少年の処遇には少年院のノウハウや人材を活用するのが適切と判断した。改正後の少年院は中学生以上の収容を想定しているが、法律上、年齢で区切ることはせず、個別の事件に合わせて対応できるようにした。触法少年に対する警察の強制調査権も広げる。現行法上、刑事未成年の14歳未満の行為であることが明らかな場合には、証拠物の押収、捜索、検証などはできない。だが、事実を明らかにする観点から「調査」としてこれらの行為をできるようにする。今回の改正は、刑事処分が可能な年齢を16歳から14歳に引き下げた00年の少年法改正以来の大幅な見直しとなる。」
という。
上記内容の少年法制「改悪」は、既に、「青少年育成施策大綱」(2003年12月・政府の青少年育成推進本部の策定)で法改正するとされ、それに基づくものである。
この問題については、少年法改悪の一つであり、「子どもと法・21」で本格的に反対運動をする必要があり、今後通信でも、さまざまな立場から問題点を指摘する予定であるが、今回その概論を掲載する。
1 少年法制「改正」要綱案骨子
〈14歳未満の事件への警察の調査〉
故意に人を死なせるなどの重い行為をした触法少年については、警察は児童相談所に事件を送致し、児童相談所や都道府県も原則的に家裁に送致しなければならない。
触法少年への調査であっても警察は押収、捜索、検証、鑑定嘱託できるように改める。
〈14歳未満の少年の保護処分の見直し〉
少年院収容可能年齢の下限(14歳)を削除する。14歳未満は特に必要な場合に限り、少
年院送致できる。
〈保護観察の実効性を高める措置〉
保護観察所長は、保護観察の遵守事項を守らない少年に警告できる。それでも改善されない少年については、家裁が、保護観察所長の申請に基づき、少年院や児童自立支援施設に送致することができる。
保護観察所長、少年院長は保護者に指導等の措置をとれる。 |
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2 総論的批判
そもそも「青少年育成施策大綱」については、その基盤とする考えが、「秩序維持」「取締り」という観点からなされ、その手法も「制裁」的で、しかもこれを、いま以上に警察中心のものにする、というものである。
本年1月31日に国連子どもの権利委員会から出された第2回目の総括所見では、この「青少年育成大綱」について、権利基盤型アプローチをとるべき、と勧告しているが、少年非行に対しては、子どもの権利条約、(それと一体となる)リヤドガイドライン(少年非行防止に関する国連ガイドライン)に沿った対策が求められる。
子どもの権利条約は、犯罪をおかした子どもについても、成長発達権の保障を原則としている。一方、リヤドガイドラインは、非行は子どもをとりまく環境と子ども時代の不安定さに起因し、逸脱行動も多くは一過性のものであるとする。そして、非行防止には、幼児からの人格の尊重を、と子どもの人権の尊重が核であるとし、子どもは社会のパートナーシップを担うべきである、としている。逆に、子どもを統制の対象にしたり、「逸脱者」「非行少年」「非行予備軍」というラベリングを行なうことは有害で、好ましくない行動パターンを固定化させる、という。だからこそ、子どもの権利条約では、少年司法の目的を、その子どもが自分の権利と価値を尊重し、同時に他人の権利を尊重するようになれるようにし、社会で建設的な役割を果たし得るようにすることである、とする(条約40条1項)のである。
したがって、もっぱら子どもを「取締り」や「制裁」の対象で、その客体とする「青少年育成大綱」は、これとは方向が逆である。しかも、全体的に、「厳罰化」の方向がはっきりみえるもので、私たちがこれまで問題にしてきたことはまったく省みられていない。
3 触法少年への対応についての「改悪」
今回の「改悪」の対象は、大きくいうと、(1)触法少年(14歳に満たないで刑罰法令に触れる行為をした少年)にかかる問題と、(2)保護観察中の遵守事項問題、(3)親への働きかけにかかるものである。
触法少年は、児童福祉法の対象である「要保護児童」として位置づけられており、児童相談所が家裁へ送致する必要があると考えた場合、例外的に少年司法のルートに乗せられる。つまり、司法的な保護よりも福祉的な保護が優先されているもので、これはこの子どもたちの年齢を考えれば明らかであろう。
しかし、「改悪」は、殺人等の場合は、「原則、家裁に送致すべき」と、現行法の、原則と例外を反転させるものである。しかも、触法少年(全部)について、警察に強制力をもった「調査権」を与えるというのである。
福祉分野というのは、さまざまな固有の状況に応じて適切で固有の措置をとるべきである。それを殺人の触法行為をした少年は原則家裁に送致する、とあり、行なった行為という表面的なもののみを取り出して処理させるものであって、これは児童福祉法がなくなるに等しい。
そもそも、幼い子どもが触法行為をするに至るには、それまで深刻な生育状況があると推測されるもので、その深刻さもさまざまであろう。とりわけ、触法少年で、殺人事件をおかした子どもは、その成長の過程で、虐待等大きな被害を受けながら成長してきている子どもが多いことは、これまで夙に実証されてきたことである。
その傷を癒し、自分のおかした事件と自分を見つめるまでになるためには、調査の過程でも、処遇の過程でも、教育的で福祉的な対応が不可欠である。
今回の「改悪」は児童福祉法や家裁の福祉の分野に、警察の権限を及ぼそうとしたり、触法少年の児童福祉法上の位置を変えてしまうなど、児童福祉法の理念を破壊し、少年法の理念をも大きく変えてしまうものである。
4 触法少年の調査権を警察に付与することについて
警察法2条1項は、警察の責務として、「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ること」と規定し、同2項は、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるものであって、その責務の遂行に当っては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない」と、警察権力の謙抑性を規定する。
上記、犯罪の捜査と被疑者の逮捕は「司法警察」とよばれ、その他は「行政警察」とよばれ、「司法警察」は刑事訴訟法により司法警察員による犯罪捜査の権限が規定されている。このように、司法警察の職務権限は、あくまでも犯罪捜査の目的に限られているのであり、それが行使できるのは、犯罪が成立する可能性のあるものに限られる。
触法少年の行為は、犯罪にはならない(刑法は14歳未満は犯罪にはならないと規定する)ので、警察が捜査することはできない(この「調査権付与」は将来刑事責任年齢を下げる布石かもしれない)。
現行法上司法警察ができるのは「捜査」であるので、それをごまかす言葉として「調査」という表現を用いている。しかし「調査」であっても、上記改悪案の内容は、警察の強制力をもつ強制的な「捜査」と同じものである。それに、押収・捜索等で子ども(やその関係者)のプライバシー侵害は拡大される。
現在でも「補導」の名で警察は取調べをしているが、過去の例で、小学校6年生の男児が老人を殺したとして自白させられ、後日家裁で冤罪が明らかになったケースがある(1984年の「大阪老人殺し事件」)。触法少年という年齢の小さい子どもたちが、法的に認知され、いま以上の広い範囲にわたる権限をもった警察の強制力の前でどれだけ真実を語ることができるか疑問である。
4で述べた触法少年の特質からみれば、触法事件の事案の解明は、福祉的な手続の中で、不安をいだいている少年に、児童福祉士や家裁調査官の適切な援助を受けながら進めるべきであるし、また、それによってこそ、真実が明らかになっていく。
5 殺人の触法少年は原則家裁送致へ、および触法少年について少年院送致を可能とする案
触法少年の位置づけは4に述べたように児童福祉法上の「要保護少年」なのである。すなわち、福祉手続で立ち直りを援助しようというのが法の趣旨であり、実際そのようにしなければ処遇は困難である。触法少年については、その趣旨を貫くために、例外的に少年法による司法手続きに乗せられても、児童自立支援施設(または児童養護施設)送致とか児童福祉法上の措置を取らせるため児童相談所への逆送致が規定されている。つまり、少年法のルートに乗せられても、児童福祉法の措置が予定されているのである。
現在でも、触法少年については、児童相談所が十分な対応をしないで家裁にまわしてしまう傾向があるが、殺人事件等をおかした少年は原則家裁へとなれば、この傾向が助長され、触法少年の多くが児童福祉法から切り捨てられてしまう方向にいくだろう。
一方、児童自立支援施設は厚生労働省の管轄であり福祉的な対応をし(基本的には家庭的な雰囲気で行なう)、法務省管轄である少年院による矯正教育とは明らかに質が異なる。
今回の「改悪」について、当局側は、児童自立支援施設について、「本来、家庭の事情で親と生活できない子どもたちの保護を担っており」などと説明し、「だから無理なのだ」としている。しかし、児童自立支援施設の前名称である「教護院」対象の子どもは、「不良行為をなし、またはそのおそれのある児童」であり、1999年に、児童自立支援施設と名称を変え、上記教護院措置の対象の子どもの他、「家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童」と加わったもので、「改正」への説明はまったくのごまかしである。
6 保護観察中の遵守事項確保のための制度措置
保護観察中に遵守事項を遵守しない場合、施設収容を可能とする、というのである。
保護観察は保護処分のひとつであり、一時不再理の効果を有する(少年法46条)ので、これに反する。(注「一事不再理」とは一度判定されたら、再び問題にされないという意味) 「改正」案は、執行猶予的な考え方を取り入れるということであるが、もともと少年法には「試験観察」があり、プロベーションの機能を果たしている。試験観察制度は、保護処分の変更や取消を認めないので、試験観察制度を設けることで予後についての見通しをもって慎重な決定をなさしめることにあったものである。したがって、仮にこのような執行猶予的な対応をいれたいというのなら、試験観察を活用すればよいのであって、保護観察の遵守事項を守らなかったということで施設収容を可能とするのは、一事不再理という近代法の理念から外れている。
ここでも、上からの強制(この場合制裁を背後にした心理的な強制)や制裁をすれば、何とかなるのだという、3の総論や4で批判した考えが貫かれている。
7 保護観察中および少年院収容者の保護者への指導
非行をおかした少年が非行から脱却するには、家庭の協力も必要である。現行少年法では、そのため、保護観察および少年院送致に際し、保護観察所所長は「家庭その他の環境調整に関する措置を行なわせることができる」としている(少年法24条2項)。しかし、それにもかかわらず新たに規定を設けるというのである。
ここには、保護者に対する基本的人権を侵害するおそれもある施策がとられる可能性がある。
「青少年育成施策大綱」では、「保護者の再教育(相談、指導など)」と表現しているし、それに続いて「保護者の働きかけに応じない場合において、実効性を確保するための介入等の仕組みをつくる」とあり、制裁や強制的な措置をとられるおそれがあって、基本的人権にかかわる。
そもそも、保護者に対して制裁を背景にしたかかわりは、効果がないばかりか、逆にさらに子どもの環境を悪化させる危険性すら高まる。
もともと、多くの保護者は子どもの養育にさまざまな悩みをもっているし、さらに、保護者の環境も困難な場合も少なくない。そうして「非行少年の親」として孤立感をいだいている保護者が圧倒的だと思われる。こうしたことに共感して支援(福祉的な支援含む)することが大切であり、それによって子どもとの関係も再構築できる。
さいごに
以上のように、これらの動きは、わたしたちの考えていること(それは国連子どもの権利委員会からも勧告されている)とはまったく逆の、取締り・制裁・厳罰化という発想のものばかりで、明らかに「改悪」であり、さらに事態を深刻なものにさせる。法制審にかけるということであるので、その動きを監視し、反対の意思表示をすべきと考える。
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