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少年法「改正」を考える連続学習会「子どもとどうかかわるか?」 Part2
子どもたちの声なき声を聴く

日時:2013年4月18日(木) 18:30-20:30

お話し
 寺尾絢彦さん(元家庭裁判所調査官/ミーティングスペース・てらお主宰)
参加者によるディスカッション:「少年法を生み出した理念って?」
会場:文京シビックセンター 4階 シルバーホール
主催:少年法「改正」に反対する弁護士・研究者有志の会
共催:子どもと法・21

法制審議会は2月、少年法「改正」要綱を法相に答申しました。少年審判への検察官関与対象事件の拡大と刑事裁判における刑の引き上げが盛り込まれています。少年法「改正」に反対する弁護士・研究者有志の会と共催で連続学習会を企画しました。第2回目(2013年4月18日)は、戦後憲法のもとで生まれた少年法を試行錯誤しながら実践してこられた元家裁調査官の寺尾絢彦さんのお話をうかがいました。
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お話し 寺尾絢彦さん

戦後憲法のもとで生まれた少年法


わたしは、1962年、発足から13年経った家庭裁判所に入り、2000年3月に退職しました。38年のうちの35年間、少年係の調査官をしていました。
わたしが家裁に入った頃は、様々な面でまだまだという状況で、大都市の大きな庁以外は、地裁の建物の中に家裁が入っていることがほとんどでした。面接室も充分にはありませんでしたから、大きな部屋に何人かの調査官がいて、それぞれの執務机の前の椅子に、少年と親に座ってもらって面接をするという状況でした。隣の声も後ろの声も聞こえ、プライバシーも何もありませんでした。
ただ、当時は、「家裁とはどうあるべきか」と常に考え熱心に議論する雰囲気がありました。戦後、憲法ができ、教育基本法ができ、児童福祉法ができ、そして、少年法ができました。「家裁に来る子どもが社会に出たときに、その子らしさを発揮しながらきちんと生活していけるにはどうしたらいいだろうか」という思いが強くあったし、その為に、いろんなことを試みる自由がありました。

言葉の奥にあるものを見つける

地裁での刑事裁判は言葉優先で、調書や証言が非常に大事にされます。家裁での少年審判は、言葉ももちろん大事にしますが、子どもの言葉にならないもの、言葉の奥にあるものを見ようとします。自己表現の下手な子どもの真意は何処にあるのかと真剣に考え、忍耐強く待ち、判例や前例ではなく、自分の目で見て、自分の頭でどうしようかと考えていくのが少年審判です。黒でも白でもない、灰色の部分にこそ大事なことが隠されているんじゃないかと考えます。それを見ていくために調査官がいて、少年審判があります。
家裁にくる子どもの多くは、自分のことを自分の言葉で表現できません。裁判官に「どうしてやった?」と聞かれても、「やりたかったからです」くらいしか言えない子どもが大勢います。逆に、気持ちとまったく反対のことを言う子もたくさんいます。警察で散々いろんなことを言われ、家裁に来たときには一つの話を作り上げてくる子もいます。
若い頃、子どもに「どうして?」と聞いたら、その子が頭をカッと抱えたことがありました。「何処へ行っても、どうして? どうして? ばっかりだ。そんなこと分かったら、こんなことしてない…」。そう言って頭を抱えるのです。あぁ、そうだったんだなと思いました。「どうして?」と聞く時、そこには半分以上は非難の意味が込もっていますから、子どもにとっては、きついことです。そして、自分の内なるものを、その子らしい言葉で表現するのは非常に大変なことです。おとなが一緒に言葉を見つけ出してやらねばなりません。
ある母親が、しばらく経ってから、「考えてみると、わたしがこの子の父親とうまくいかなくて、家を出ていきたいなと思ったときに、いつも、この子が何かやったんですよね」と言ったことがありました。そうやって親が気づいてくれると嬉しいのですが、そういうことばかりではありません。
お母さんが再婚した夫との生活を中心にしていて、子どもは、その二番目のお父さんを嫌で嫌でしょうがなかったんですね。「あんな男と一緒にいるくらいなら、俺は少年院に行ったほうがいい」と、いつも母親に言っていました。母親は言葉どおりに受け取って、審判で裁判官に、「この子は、あの男といるくらいなら少年院に行ったほうがいいと言っています」と言います。けれど、その子が最後にボソッと「僕は、お母さんと一緒に暮らしたい」と言ったんですね。それを、母親はなかなか受けとめられませんでした。審判というのは、そんな残酷な部分も出る場合があります。調査官は、その手当てをしなければなりません。

何を求めていたのか、今できることは何か

子どもは、家裁に着くまでに欠点をたくさん言われてきますし、調書にも載ってきます。ですから、マイナス面はたくさん目につきます。しかし、そんな中でも、プラス面に目を向けないと処遇には繋がりません。マイナス面を直せと言うことは簡単ですが、簡単に変えられるわけじゃありません。
朝一番の面接に来た子どもが、寝ぼけ眼であくびをし、頬杖をついてだらしない格好をしている。それを、けしからんと怒ることは簡単ですが、よく聞いていくと、普段は夜中に起きているので、朝11時頃にならないと目が覚めない。明日は家裁に行くのに今寝たら起きられない、遅刻するのはまずい、だから夕べは夜通しがんばって起きていたから眠いんだということが分かったりします。そういうことを聞くと、この子もなかなかいいところがあるじゃないかと思いますよね。
また、家庭訪問をすると、面接では分からなかったこと、子どもがどんな生活をしていたのか、家の中でどんな扱いを受け、どんなふうに思って暮らしてきたのか、あっという間に分かったりします。
鑑別所に入った子どもの親に家裁に来てくださいと手紙を出してもなかなか来てくれない。そこで、家庭訪問をしましたら、まだハイハイするような赤ちゃんと3歳くらいの子どもがいるなか、お母さん一人でおばあさんの介護をしている。これは、家裁に来てくださいと言われても簡単に出てこられるわけがないと思いましたから素直にそう言いましたら、お母さんがほろほろと涙を流される。そんなふうに、一つひとつ体験の数を増やしていかないと、なかなか実感できないし、相手を受け入れられる範囲も広がっていきません。
家裁に親が乳飲み子を連れてきたりすることを嫌がる裁判官もいます。でも、家裁って、そういうところなんです。そんな時は、審判の間、赤ん坊を調査官室であずかって、皆でみたりしていました。

何事にも時間がかかる

わたしが担当した男の子は、おとなになって初めて、中学時代に体育教師からひどい性的虐待を受けていたことを話すようになりました。担当した当時、どうしても腑に落ちなくて、通常の二倍くらい面接を重ねたつもりでしたが、結局、聞くことができませんでした。その後、事件を起こし、刑務所に入ってからも手紙のやりとりをしていました。わたしは今になっても、あの時そのことを引き出せず申し訳なかったという思いがあります。
事件を起こすとテレビのレポーターが警察署の前で「未だ反省の言葉はありません」などと言いますが、混乱している間は被害者のことに思いが及ぶ状況にありません。時間とともに少しずつ少しずつ明らかになり、整理されてくる。その時間を大事にしなければと思います。
償いとはどういうことなのでしょうか。被害者が満足する償いは基本的には無いのではないかとわたしは思います。どんなことをしても、事件前の状態に戻すことはできません。だからこそ、自分のやってしまったことに懸命に向き合い、被害者への思いを何回も何回も繰り返し考えながら、自分にできることを一生かけて考え、行動に移していくしかないと思うんです。そうしていく長い時間の果てに、それでも多分、被害者から赦すという言葉は出てこないでしょうが、でも、少なくとも、おまえという存在を認めてもいいという時が来るような努力をしなきゃならない。そうすることによって、被害者もいくらかの心の安らぎが得られるような時期が来るかもしれない。被害者支援は、基本的に少年審判手続きの中で解決するのは難しい、中途半端な妥協は、子どもにも被害者にもプラスにならないとわたしは思います。しっかりした被害者付添人制度などを考えるべきであって、長期間拘束、検察官立ち会等という議論は全く方向が違うと思うのです。

子どもの姿がみえない議論

今回の少年法「改正」案について、法制審議会少年法部会の議事録が公開されています(http://www.moj.go.jp/shingi1/shingikai-syonenhou.html)。これを読むと、少年法部会の委員の方々は、子どもの姿を思い浮かべながら議論していたのだろうかというのが、率直な感想でした。
子どもの嘘は許さない。そのために検察官を立ちあわせると言います。では、なぜ、子どもが本当のことを話そうとしないのかという議論はまったくありません。検察官を立ちあわせて子どもをぐいぐいと追及すれば本当のことが分かるのでしょうか。それが子どもの将来にとってプラスになるでしょうか。
子どもが本当のことを話さないのは、本当のことを話したことによってプラスになった体験を持っていないからです。家裁に来る子どもの多くはそんな子どもたちです。思い切って本当のことを言ったら、それみたことかと、さらに責め立てられた体験しか持っていません。どうして嘘をつくのだろうかと考えてやるのが、家裁の仕事だと思います。
少年審判では、少年自身がこれからどんなことを目標にしていけばいいかに気づくことが重要です。単に少年院送致でお終いではありません。少年院に行ったら何を努力したらいいかと、子ども自身が考えていくヒントを示すことが必要です。対審構造をとる審判では、そのようなことはできません。1966年に最高裁の事務総局が出した『少年法改正に関する意見』にも「後見的教育的な機能をもつ少年審判の場は、対審的な性格をもつべきものではないから…対審的構造を前提とする検察官の審判立ち合いを認めることは適当ではない」とあります。
被害も加害も、人と人の中で起こります。10代から20代前半というのは人間関係を学ぶ非常に大事な時期であり、それは、人と人の関係の中で身に付けていくものです。刑務所に長く閉じ込めても、子どもは罰の痛さは知るかもしれませんが、相手の痛みや人と人との結びつきを学ぶことは、なかなかできません。刑務所と少年院はまったく次元が違います。そもそも目的が違います。この子が将来、社会に出てくるときに、どんな人になって出てきてほしいかを考えねばならないと思うのですが、そういう議論がありません。法律が変われば全ての少年に及び、そういう法律があることが現場の人々の意識を変えていきます。
今回の法制審で、法務省特別顧問として松尾浩也氏が締めくくりにこのような発言をしています(http://www.moj.go.jp/content/000107823.pdf)。「現行少年法が制定されましたのは昭和23年で,これは誠に大改正でありました。(中略)アメリカ側のアイデアがそのままストレートに日本に持ち込まれ(中略)少年法の改正が行われました結果,強い反発が出るのはむしろ当然であったと思われます。(中略)昭和23年の少年法改正は,年末年始の飾りを,鏡餅を使ってやっていたのをやめて,クリスマスケーキに替えるというようなものでありました。」「昭和45年(注:この年、法制審議会少年法部会が発足)の改正提案も,クリスマスケーキをやめるとまでは言わないものの、ケーキのサイズを小さくして鏡餅も復活しようと,両方並べて年末年始を祝おうというような提案に等しいものでありました。」「平成になってからの改正は,クリスマスケーキのトッピングに字を書き加える程度のものでありました。書き加えられた字は『検察官関与』であったり『事実認定の適正化』であったりしたわけですけれども,しかし,それはケーキ自体を変質させるものでは全くありませんでした」と。彼は、2000年の少年法「改正」の時、「『改正』が強行されるなら世紀の恥辱である」とおっしゃった団藤重光元最高裁判事の一番のお弟子さんです。個人の考えは自由ですから関係ないとは言え、ショックでした。

厳罰化の流れの中で、家裁はどうあるべきか

少年法「改正」問題はたびたび起きましたが、1970年、最高裁家庭局が出した『少年法改正要綱の基本的問題点』の中に、「世論調査の結果等を制度改正の参考にしようとするなら、現行制度の仕組みや運用の実際について十分な理解を持つ者を対象とし、妥当な調査方法によって得られたものでなければならないが、世論調査の結果として挙げられているものは、これらの点でいずれも問題がある。」という部分があります。しかし、1977年に法制審議会の中間答申が出る数年前から裁判所の姿勢は大きく変わり、世論が許さない、家裁といえども裁判所なのだから福祉的機能より司法的機能が優位なんだというような空気が強くなってきました。それが次第に、少年法「改正」問題につながり、今日まで来ているのだと思います。
いま、早く辞めたいという調査官、定年を待たずに辞める調査官が決して少なくありません。調査官の管理が、査閲制度からはじまって評価制度が導入され、調査官研修所がなくなって、採用試験制度、養成制度が変わりました。転勤は広い範囲で頻繁におこなわれるようになりました。のびのびした雰囲気がなくなり、熱意をもってやろうとしても果たせないようです。本来なら、今日のような場で、現職の調査官がお話しするのが一番いいはずですが、出にくい状況があります。事件は早く片付けろ、極端に言えば、余計な事はするな、書くなという圧力が感じられます。家庭訪問も余りしなくなっています。そして、再犯を非常に恐れる傾向にあります。原則逆送事件の調査官意見の多くは、「しかしながら、事件の重大性を考えれば逆送」という文章で締めくくる。そんな状況です。
最高裁は「調査官は人間関係の専門家」だと言います。では、調査官の専門性は、誰に対して意味を持つのでしょうか。それは、少年法の目的である少年の健全育成のため、子どものために存在するはずです。今こそ心ある裁判官や調査官、職員を支えながら、家裁はどうあるべきかということを改めて考え、訴えていくことが必要だと思います。

 
(文責:子どもと法・21通信編集委員会)

- 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (子どもと法21) - 関連サイト 事務局通信
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