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少年法「改正」を考える連続学習会「子どもとどうかかわるか?」 Part1
被害と加害に向き合いながら

日時:2013年2月23日(土) 18:00-20:30

お話し
 山口由美子さん (佐賀バスジャック事件被害者)
パネルディスカッション
 山口由美子さん
 佐々木光明さん(研究者)
 坪井節子さん(弁護士)
会場:文京シビックセンター 5階 会議室 C
主催:少年法「改正」に反対する弁護士・研究者有志の会
共催:子どもと法・21

法制審議会は少年法「改正」要綱を法相に答申しました。審判への検察官関与対象事件の拡大と刑の引き上げが盛り込まれています。少年法「改正」に反対する弁護士・研究者有志の会と共催で連続学習会を企画しました。第1回目(2013年2月23日)は、佐賀バスジャック事件被害者山口由美子さんのお話をうかがい、付添人活動をする弁護士の坪井節子さん、少年法研究者で神戸学院大学教授の佐々木光明さんとディスカッションを行いました。
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第1部お話し 山口由美子さん

私の傷と同じくらい少年の心は傷ついている


2000年5月3日、私は、この事件で亡くなられた塚本達子先生と一緒に、佐賀駅バスセンターから天神行きのバスに乗りました。
高速道路に入ってしばらくしたとき、一番前に座っていた少年が突然立ち上がり、「このバス、乗っ取った。荷物を置いて後ろに行け」と言いました。すごみは無く、この子はなぜ、こんなことを言っているんだろうと感じました。他の乗客と一緒に、先生とわたしも後ろに下がり座りました。居眠りをしていて気づかず、後ろに下がり遅れた人が一人いて、少年が首を刺しました。そのとき初めて、本気なんだと気づきました。でも、本気で人を殺したいと思って生きている子どもはいない、つらいことがあって追い込まれたのかなと感じ、少年の本来の心に戻ってほしいと祈りました。途中、トイレ休憩は必要じゃないかという運転手さんに少年は応じ、道路の路肩に止まり、1人の乗客が降りました。降りた乗客は何らかの方法で中の状況を外に知らせ、バスの前に車が一台、二台と止まり始め、驚いた少年は「バスを早く出せ」と言いながら、持っていた包丁を運転手さんに振りかざしました。
バスが出発したのを確認し、後ろに来て、わたしの前に立ち止まり、「連帯責任です」という言葉とともに、私はいろんなところを切られ、座席に座っていられず通路に転がり落ち、床に座り込みました。自分の周りは流した血でいっぱい。その血を見ながら、自分の傷を感じながら、「私の傷と同じくらい、彼の心は傷ついていたんだ」と感じました。少年を殺人者にするわけにはいかないという思いが湧き起こり、傷の浅かった右手で体を支え、左手は心臓より高くと、肘掛けに置いていました。でも、かなりの出血で意識が朦朧となり、このまま死んでしまうんだなとも思いました。生き死にどっちに転んでもおかしくない状況を体験しました。乗客が窓から逃げられたとき、塚本先生が刺されたようです。朦朧としていて、私自身は現場を見ていませんでした。

「もう、よかやんね」 その一言で

若い女性が2人で乗っていて、「次に乗客が逃げたら、お前の番だ」と言われた女性がいました。言われていない方の女性が「見張りに立たせてください」と立ってくれました。私はだらしなく座り込んでいるしかありませんでした。
広島でやっとバスがとめられ、怪我人だけでも出してくれという要望に、少年は交換条件としてピストルに弾1発入れて持って来いと言いました。警察は、ピストルは渡せないと時間をかけて説得し、少年は防弾チョッキに要求を変えました。手渡された防弾チョッキを見て、「これは偽物だ、本物を持ってこい」と言い、警察が本部まで取りに行きました。かなりの時間を待たされ、少年もイライラしていたと思います。立ってくれていた女性が警察に「中には怪我人がおっとよ。防弾チョッキ、はよう持ってこんね(中には怪我人がいるんだから、防弾チョッキ早く持って来て)」と叫んでくれました。少年は「おい、あんたんこと言う人、好いと(僕、あなたのように言う人好きです)」そういう会話がありました。
やっと手渡され、助けられると思った途端、少年は、私が自分の力で座り込んでいるのが癪に障ったとみえ、「こいつしぶといな。殺してやろうか」と言いました。そのとき、立ってくれていた女性が「もう、よかやんね(もう、いいじゃない)」と言った、たったその一言で少年は気持ちをおさめてくれました。
窓から助け出されたとき、「助かった」、それだけでした。他の乗客のことを考えるゆとりは一切ありませんでした。わたしたちは救急車で運ばれ、病院に行きました。他の乗客は次のインターで警察突入のもと、全員無事、助け出されたと聞きました。
手術を受け意識が戻ったとき、あまりの辛さに、あのとき死んどけばよかった、そう思いました。
夫は仕事を休んで、付き添ってくれていました。体が少しずつ元気になっていくに従って、私が生き残り、塚本先生は亡くなられた、ご遺族に申し訳ない、そういう思いが出てきました。塚本先生のご遺族が「山口さんだけでも生きていてよかった」と心から言ってくださった、その言葉が、次、生きていく力になりました。「おつらかったでしょう」と言ってくださるお医者さんの言葉で、つらい状況を生きていたんだと、やっと実感として出てきました。一か月余りの入院、看護師さんたちからよくしていただき、自分が生きていていいと感じることができました。佐賀でリハビリをし、半月余りで自宅に戻りました。

彼が誰かに話を聞いてもらえていたら

少年は、中学でひどいいじめにあったそうです。音楽室に忘れた筆箱を取り上げられ、これが欲しいならここから飛んでみろと言われ、踊り場から無理矢理飛んで、腰を圧迫骨折してしまいました。そこは、よく生徒たちが飛んでいる場所で、少年だけが運動神経が鈍く、怪我をしたような報道がされましたが、無理矢理飛ばされた彼は、心も体も準備しないままで、怪我があって当然だったんじゃないかと思います。入院先での高校受験だったようです。
心も体も中学時代に傷ついた少年は一週間ほどで不登校になり、ひきこもっていったそうです。親の期待に添えない惨めな自分。中学でいじめさえなければという思いから、中学襲撃を計画していたことを両親は知り、ある高名な精神科医に相談され、警察導入のもとに強制的に精神科に入院させました。少年は見捨てられたと感じ、両親に言った言葉は「覚えていろよ」だったそうです。
実は、私の娘も不登校でした。娘の不登校と向き合いながら来たことで、この少年が辛い状況を生きてきたと感じました。娘に「あなたの不登校のことを話していい?」と聞いたとき、「わたしは話を聞いてもらえた。あの少年は誰からも話を聞いてもらえなかったんだろうね。辛かったと思うよ。話していいよ」と言ってくれました。娘のその言葉がなかったら、こういう場で話すわたしはいなかったと思います。
彼が誰かに話を聞いてもらえていたら事件を起こさなくて済んだかもしれない。事件を起こす前にどうにもできなかった、それがつらくてたまりません。私たちおとな社会の在り様を非常に重く感じます。

「孤独だったんだね、つらかったね」

退院後、しばらくして、少年の両親から手紙が届きました。「直接お会いして謝りたい」。突然だったのですが、戸惑いと嬉しさと混じりあったところで、お会いしました。私は「いろんなサインはあったはずなのに、どうして」と言って、泣きながら責めました。「いろんな精神科医、学校の先生に相談しましたが、こういう結果になって申し訳ありません」。小さくなってひた謝りに謝られる両親の話を聞いているうちに、私は塚本先生から「子どもとは自ら育つ力をもって生まれてくる。おとなはそれを援助するだけでいい」と学んでいたことで、子どもの不登校に少し向き合いやすかったのかなと気づきました。
ご両親が次に会いに来られたときに、お父さんが話してくださいました。少年に「自分も仕事を辞めさせられ、誰からも電話が入らなくなった。孤独のつらさを実感した。おまえも孤独だったんだね、つらかったね」と話されたそうです。少年は、自分のやったことのつらさ故かご飯もあまり食べていなかったようですが、そのお父さんの言葉で「これからご飯食べるから」そう言ってくれましたと、話してくださいました。そうやって、お互いに気持ちを伝えあっていくことからしか、互いに立ちあがっていかないなと、お父さんの話を聞きながら、感じました。

事件の状況をつぶさに見ているなかで

2000年の少年法「改正」のとき、東京弁護士会の勉強会に呼ばれ、その後、参議院法務委員会の参考人として出席しました。法務委員会で、少年犯罪被害者の会の代表の方がお話しされるのを聞きながら、もし、わが子が被害者だったら厳罰化反対という立場で話せるだろうかと非常に動揺しました。でも、私は、自分の体験と実感を話すしかないという覚悟でお話をさせてもらいました。
わたしには両親から謝罪がありました。被害当事者として、少年がどう事件を起こしていったのかという状況をつぶさに見ています。でもその被害者遺族の方は、自分の子どもがどういう状況で殺されたのか分からないまま、正当防衛だと言われ、その後、謝罪にも来ない状況のなかで、厳罰化を望まれているということが分かりました。

互いに修復していくために

少年が入院している医療少年院の先生が私の講演を何度か聞かれ、少年の更生に役立つとの判断で少年と会う機会をつくってくださいました。
20歳を超え、体格もしっかりしていました。彼は、心から謝ってくれました。彼の背中を擦りながら、泣きながら、「本当につらかったね、大変だったね」一番かけたかった言葉をかけました。彼が生活している状況が分かったことも嬉しかったです。
2回目は彼と二人きりにして頂きました。彼は本音を話してくれました。私を信頼してくれた、非常に嬉しい出来事でした。3回目は佐賀に連れて来られました。塚本先生のお墓参りの後に会った彼は、一言も話すことができませんでした。自分がやったことがつぶさに出てきたんじゃないかと思います。何も喋らない少年と向き合って別れました。
その後、被害者には連絡なく少年が退院したことを新聞報道等で知ることになりました。少年から「何の連絡もなく退院して申し訳なかった」という手紙が届きました。その後、少年と会いたいと思っているんですが、なかなか実現できていません。
いろんな被害者の方がいて、二度と会いたくない方もいらっしゃるかもしれませんが、会って謝ってほしいというのが本音じゃないかなと思います。赦さないで怒りや恨みをもって生きつづけることが、どんなにたいへんなことか、本当に、考えます。
少年犯罪で子どもを殺された方にお会いしたとき、加害少年と一緒の地域に住みながら、被害者は自分が悪い者のように小さくなって生活しなければならなくて、講演に来たときだけが自分の居場所を実現できると言われていました。わたしは本人や両親の謝りがあったから、こういうことが言えている部分もあるかなと感じています。
いま、少年院や少年刑務所で被害者の視点に立った教育の一環として話しています。子どもから、自分も被害者の方に会って謝りたい、どうすればいいですかと聞かれます。やはり、悪いことをしたらごめんなさいと謝る。それをやらなければ、互いに修復していかないんじゃないかと思っています。

第2部パネルデスカッション

孤立した人を繋ぎ、被害性に気づくプロセス

佐々木:山口さんのお話を聞きながら、「ごめんなさい」と言える、「謝る」ためのプロセスと、法制度はどう関わっているのか考えていました。制度の中で警察官や検察官、調査官や法務教官、裁判官や付添人、様々な人が登場します。その人たちは、少年にどう関わるのか。付添人を経験してこられた坪井さん、いかがでしょう?

坪井:
集団で、同い年の子どもの命を奪ってしまった17歳の少年の付添人をした時のことです。初めて面会した時、彼は自分がした行為によって人が亡くなったことの意味を感じられない状態でした。
彼が、本当につたない言葉で書いた手紙と、両親による謝罪文をもって、ご遺族に電話をしました。「何も情報が入らないまま、誰が息子を殺したかも分からないままにされて」そうおっしゃいました。弁護士だけなら来てもいいと許され、家に伺いました。手紙は読んでいただけず、香典もお供え物も返されました。「子どもがどんな状況で死んだのかを、話してください」。ご遺族に話さなければならない状況は本当につらいことでした。
「子どもを失った親の気持ちが分かりますか?」想像することはできますが、分かるというふうには申し上げられず、涙を流して聞いているしかありませんでした。「18歳の誕生日にお兄ちゃんが買ってくれたスニーカーを一度も履かずに逝ったんですよ」。子どもがいないという絶望、自分が明日どうやって生きたらいいのか分からないという混乱の中におられました。私は、この話を少年に伝えることしかできない、けれど、どうか弁護士を選任していただきたいと伝え、玄関に立ちました。「加害者側の人間に会いたいとは思っていなかった。でも、あなたが来てくれたことだけはよかった」。お母さんのその言葉だけが救いでした。その足で少年に会いに行き、彼にできる限り忠実に伝えました。

彼は大声をあげて泣き出しました。「Aくんが死ななければ、ご両親は悲しまないで済んだ。俺が死にますから時間を戻してください」。時間は戻せない、動かしがたい事実を抱えて生きていくしかない。そう言うしかありませんでした。彼はそこから毎日、被害者の魂へ祈り、手を合わせていきました。
この間、ご遺族が弁護士を選任され、示談が成立して賠償はできました。そして、付添人、調査官それぞれが子どもに働きかけました。彼は中学のときにいじめに遭い、学校にいられなくなり、非行グループに巻き込まれ、グループを抜けようとしても呼び出され、事件を起こしていきました。彼が追い込まれていくまでに、たいへんな道のりがありました。審判を迎え、彼は少年院送致となりました。
彼の手紙はご遺族になかなか読んで頂けませんでした。ある時の手紙にこうありました。「Aくんの誕生日が巡ってきました。でも、ご両親は二度とAくんの誕生日を祝ってあげることができない。僕はこのことを一生忘れずに生きます」。ご遺族の弁護士にお渡しし、初めてお母さんが手紙を読んでくださり、涙を流しておられたと教えて下さいました。
少年事件を起こす子どもに向き合ったとき、切実に感じるのは、その子どもの孤立感です。見捨てられてきた痛みがSOSや自暴自棄として非行に現れてしまうと感じます。同時に、被害者になられた方の壮絶な孤立感も感じます。周りにいる人は何をしなければいけないか。孤立感を強める方向への「支援」はまったく支援にならない。周りの人が様々なかたちで繋がっていくしかない。山口さんのお話でも、多くの人が繋がってこそ回復していかれたと思います。切れていた子どもと親、先生、地域、子ども同士、それらが繋がっていくことで最終的に被害者と加害者が何らかのかたちで繋がっていく。それによって社会が再生していくと思います。

佐々木:審判に至るプロセスで、付添人としての坪井さんが少年と向き合うなかで、彼が内面を見つめ直し、被害者のことを考えていったわけですね。

坪井:
少年による子どもの連れ去り事件の被害者代理人になったこともあります。少年法のもとで、審判外で被害者の意見陳述を行いました。しかし被害者といっても気持ちは一様ではありません。連れ去られた子どもは、ものすごい恐怖心を感じていました。お母さんは子どもを被害に遭わせてしまったことで、自らを責めておられました。お父さんは謝罪と賠償を求めておられました。被害者それぞれの立場で違う。ですから、それぞれの思いに共感し、それぞれがどうしてほしいかを聞き取り、それを加害者側や裁判所に伝えるしかないと思いました。お母さんには、どんな場合でも起こり得ることだから自分を責めないでくださいと励ましました。そして、この間に、加害少年の付添人と面会を重ねました。記録に表れてはいない、少年が養育放棄的な虐待の被害者である生い立ちが開示されていきました。そういう立場の少年であったことは、被害者の両親にお伝えしました。
付添人が、被害者弁護人が、何を目指すのか。切れてしまった関係を繋ぐ役割を担うという思いを共有していなければならないと思いました。最終的に示談が成立し、少年の審判の結果も知らされました。それで被害者が満足できるのか、そう言われるかもしれません。そうかもしれません。しかし、そこに至るまでに周りの人間がどこまで努力したかということが大きく影響すると感じた事件でした。

山口:被害者は、自分が悪くてこういう目に遭ったと思いがちです。私も人と繋がっていたことで、自分が被害に遭ったこと、つらい状況を生きていたこと、生きていていいんだということを一つずつ実感していきました。そして、加害少年自身が被害者だったなと感じています。関係性の中で自分の被害性を取り戻していって初めて、自分の加害性に気づく。それぞれが被害を埋めながら、加害に向き合っていくことが必要だと思います。

佐々木:
審判に至るプロセスでは、付添人、調査官、鑑別所の教官や技官という様々なおとなが少年に接点をもちます。少年司法制度全体で、少年が加害者であるけれど被害者性をもっていることに周りが気づき、少年自身も気づいていく。「気づく」ことが、少年法が求めるプロセスだと思います。

重き処罰を求めていくための検察官関与

佐々木:
2000年「改正」で語られた、付添人がつくなら検察官もつくというセット論が、今回の「改正」案でまた提案され、法制審を通りました。この検察官関与は、一般的に厳罰化論に一括されて語られますが、実は、「事実を明らかにするために」という法的論議が行われています。事実を明らかにすることは被害者も求めることで、社会としても必要だ、検察官が関与して事実を明らかにしましょうという提案がされています。しかし、検察官関与が果たして、そのように機能するのでしょうか。

坪井:警察・検察という捜査に関わる人を、家裁に関わらせないのが少年法です。事件を起こす前に社会が子どもにすべき役割があったのに出来なかった。だから、子どもが二度と事件を起こさないために、やるべきことを考える。それが少年法の理念です。そこに再び検察が入ってくるという2000年「改正」の蟻の一穴が、理念を壊してしまいました。
付添人がいたら検察官がいても対等だと思われるでしょうか。付添人がつけば子どもが守れると思っている弁護士がいるとしたら、思い上がりです。刑事裁判であれば「証拠法則」というものがあり、弁護人がNOといえば証拠は裁判には出てきませんが、少年審判では「証拠法則」はありません。警察が証拠を捏造したとしても、誘導のもとに間違ったことを言わされていようとも、証拠として裁判官の頭にインプットされた状態から審判が始まります。
最近の審判廷は本当に怖い。子どもをいじめているとしか思えない裁判官にも会います。一言の弁解も許さない。「裁判官待ってください」そう私が言ったら、「付添人は黙ってください」と言われて、こんなお喋りな私ですら審判廷で何も言えなくなってしまう。調査官、付添人が一生懸命に子どもの話を聞き、子ども自身が語れるようにと準備して、やっと子どもが語れるようになるのに、検察官が入って「取り調べのときに言ったことと違うじゃないか!」などと言われたら、子どもを守れません。
少年法に「懇切を旨とし和やかに」とあるのは、子ども自身が自分に向き合い、どうしてこんなことになったのか自分で語り、それによって何が必要なのかをおとなが分かり、これからを考えていこうというのが本来の少年審判だからです。しかし、検察官関与があればまったく変わります。

佐々木:少年が語ることによって事実を確認していくことが少年法の基本的な構図です。刑事裁判で明らかにする「事実」と、少年審判で明らかにする「事実」は基本的に違うと思います。少年審判で明らかにする事実は、山口さんが言われたとおり、加害者がもっている被害者性、様々な環境によって追い詰められて犯罪に至ったという「一連の必然的なプロセスが一体となった事実」です。それを発見していくことです。そして、その発見していくプロセスもまた、裁判官、調査官、付添人らに求められています。そうした二重の意味で、刑罰の適正なる執行を求める訴追官としての検察官が、審判から排除されてきた理由は明らかだと思います。

山口:事件のとき、警察官の聞き取りがあって、その後、検察官が聞き取りにこられました。「極刑ですよね」と検察官が判断されました。そんなふうに言われたら、こっちは答えようもないですよね。極刑じゃなくて刑を軽くしたい、そう思っても、こちらは素人で、専門家がおっしゃる。びっくりしました。

佐々木:
裁判所に「犯罪によって被害を受けた方へ」というチラシがあります。事件記録を閲覧するには、優先的に傍聴するには、被害者参加制度を利用するには、などのことが書かれています。この申込先はすべて検察官です。損害賠償だけは地方裁判所に申し立てるかたちです。検察官が窓口になっていることから分かるように、「検察官は被害者の思いを受けとめます」ということの実態は、山口さんがおっしゃったように、「処罰を求めるんですよね」という前提に立っていると思います。
少年法「改正」の法律論議では「事実を明らかにするために」検察官と弁護士はセットで当然だという議論がなされている一方で、検察官は被害者の方たちを受けとめる窓口としてあり、その「被害者を受けとめる」というときの前提が「処罰を要求していく」ことである。「改正」案には、事実認定としての検察官関与ではなく、重き処罰を求めていくための検察官関与という背景があると感じます。

「厳しさ」と処罰を重くすることの違い

佐々木:
不定期刑の引き上げは、やはり厳罰化です。「厳しさ」と処罰を重くすることはイコールではありません。やった行為を振り返り、自分を見つめ直すことは、少年に厳しさを求めることでもあります。どのような厳しさが審判の場に、少年に必要なのか。改めて考えてみる必要があると思います。今までの「改正」や今回の法案のベースにあるのは常に罰を重くしていくことです。審判より刑事裁判に、刑事裁判になれば少年院ではなく少年刑務所という刑を執行する場に身を置かせることになります。

山口:子どもは成長している過程ですから、おとなと同じように罰することは絶対におかしいと思います。厳罰化は子どもの育ちを阻害していくことだし、おとなの責任を子どもに負わせることだと思います。自分の子どもが加害者になるかもしれないとは考えないのかなと思うんです。自分に引き寄せて考えていかないと制度がおかしくなっていきます。
佐々木:子どもの権利条約に基づく国連・子どもの権利委員会が日本の少年司法に対し、刑事裁判に回す少年が多くなって反省する機会を奪っている、処罰を重視することによって生きづらさが増していると問題提起していることは重要な事実です。

山口:加害者を厳罰にするのはお金のかからないことです。被害者をきちんとサポートするのはお金がかかることです。国はお金を使わずに皆を納得させようとしていると感じます。被害者、加害者と言っても一様ではない。その「違う」というところにどう向き合えるのか。本当に求めていることは何か。わたし自身も悩みながら、考えています。

佐々木:よく、被害者の立場で考えたら当然だという言われ方がなされますが、制度を考えるときに、「被害者にとって優しい制度か」と考えてみる必要があると思います。優しいって何だろうか。被害者の思いを共有すること、そのための人や場が必要だということです。今まで被害者が放っておかれたことは問題です。しかし、いま用意されている制度は、応報的処罰感情に対応する形のものしかありません。その中で被害者の方々は制度を一生懸命利用しようとしています。果たして被害者にとって優しい制度なのだろうか? 日常の言葉で捉え返してみると、今ある制度の問題が見えてきます。

制度は人を変え、社会をかえる

坪井:
現在、全ての弁護士が毎月4,200円を強制徴収され、その費用で付添人を派遣し、約8割の子どもに付添人が付いています。付添人制度は必要で、国費で行うべきです。しかし、重大事件に限られる検察官関与が傷害・恐喝事件にまで拡大し、かつ厳罰化することまで丸呑みにして、日弁連は法案に賛成しました。少数の子どもは検察官関与で傷つくが、多数の子どもに国選付添人がついて救われるという議論があります。おかしいです。人権とは、一人でも傷ついてはいけないんです。一人でも傷つくことが分かっている制度に踏み出してはいけない。この法案は成立させてはいけません。

佐々木:制度は人を変え、社会を変えるんだと思います。検察官が審判に関わることによって、家裁の力は落ちていくでしょう。裁判官は、事実確認が少し面倒な事案に検察官関与を認めるかもしれません。裁判官の職責に検察官が関わることを許すことは、家裁の劣化を招きかねません。「具体的な制度を少し変えるだけで理念は変えません」としつつ、「改正」案は決定的に少年法の考え方、家裁の在り方を変えていくでしょう。小さな事件は家裁で、重大事件は刑事裁判にというような、家裁が生まれた出発点、理念を放棄することになりかねません。
「どんな社会にしたいのか」と密接なのが法の理念です。理念は制度として具体化し、かたちづくるものです。子どもが自ら考え、気づく過程に、おとなや社会が関わることを求める少年法の理念を変えていくきっかけになるものには、賛成できません。その理念は、被害者にとっても大切なものだと山口さん、坪井さんのお話からも分かります。わたしたちは、子どもたちの未来社会を決定しようとしているのです。一緒に考えましょう。
 
(文責:子どもと法・21通信編集委員会)

- 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (子どもと法21) - 関連サイト 事務局通信
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