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子どもと法・21連続学習会報告 2005年12月18日(日)
少年法「改正」を考える 〜家裁調査官・元裁判官&保護司〜

少年法「改正」問題を考える - 少年司法における保護主義の危機 -
北澤 貞男(弁護士・元裁判官)

1. 少年法との関わり

 私は、昭和41(1966)年4月に裁判官となり、昨年12月に定年退官しました。少年審判を担当するようになったのは、裁判官になって3年を経過した昭和44(1969)年4月以降です。昭和44年4月から2年間、横浜家裁の少年郡で少年事件を担当しました。以来、地方の本庁や支部勤務が続き、最後はさいたま家裁少年部だったので、いつも少年事件に関与してきた感じです。
 私が裁判官になった1966年は、法務省が「少年法改正に関する構想」を発表した年です。なお、その翌年の1967年から、一部のジャーナリズムや政治勢力によって偏向裁判キャンペーンと青法協会員裁判官に対する攻撃(赤攻撃)が開始されました。司法反動の嵐が吹きはじめたのです。
 1969年には、簡易送致基準が改訂され、簡易送致の範囲が拡げられました。簡易送致を一口に説明するのは難しいのですが、要するに、占有離脱物横領や窃盗などの軽微な非行を犯した少年について、警察限りで処理を終え、家裁には月に一回の送致日を決めて送致書だけを送り、家裁では手を掛けず、事案軽微として審判不開始にするという扱いを認めるものです。法務省と警察庁と最高裁が簡易送致の基準と処理方法を合意した上、裁判所内では、最高裁家庭局長が通達を発して、各家裁に三者間で合意した基準にそって地検及び県警と協議し、簡易送致を運用せよと指示し、各家裁がこれに応じるというものです。全件送致主義の建前を崩すものだという批判がある一方、少年司法は行政に近く、家裁が指導権を握る限り、問題はないという意見が主流だったのです。確かに、簡易送致された事件でも、家裁が調査、審判し、警察に捜査記録の追送を求めることができます。しかし、実際には、家裁の陣容から、手が廻らず、簡易送致事件には手を触れない扱いにならざるを得ません。一部の裁判官や調査官が抵抗しても、どうなるものではありません。この簡易送致は、少年法が施行された直ぐ翌年の昭和25(1950)年にできた制度です。そして、昭和44(1969)年に改訂された後、長い間改訂されなかったのですが、ついに平成17年(2005)年7月に再改訂されるに至りました。被害額が、おおむね5千円未満から、おおむねl万円以下に引き揚げられたり、恐喝と傷害が除外されたり、送致の方式が、身上調査表を付けるほか、状況に応じて少年の供述調書などを添付することとし、家裁の審査が及びやすくなりました。家裁が全く手を抜くという建前がとれなくなったことでは、改善なのかもしれません。
 簡易送致の問題は、本質的な問題であり、わが国の少年司法の問題が凝縮しているといっても過言ではありません。
 私は、少年審判を担当するようになって直ぐに、簡易送致基準の改訂の問題が発生したため、この間題を考えるために少年法を勉強しました。研究者としてではなく、もっぱら実務家として、少年法と関わってきました。
 簡易送致は、現行少年法の屋台骨である全件送致主義を崩すものだと直観的に感じました。この全件送致主義は、家裁先議主義、保護処分優先の制度的基盤です。警察と検察が捜査を遂げた少年事件を全部家裁に送り、家裁がこれを一切処理するというものです。家裁が少年刑事政策の主体であることを位置づけるものです。
 ところで、成人の刑事事件については、その刑事政策の主体は、検察官です。検察官は、捜査権も起訴権も、特に起訴権はこれを独占し、裁判を執行する指揮権も持っています。ただし、死刑の執行だけは、法務大臣の命令により、検察官等が立ち会って行われます。刑事記録の最終的保管者も検察官です。
 これに対し、少年事件は、家裁が一切を処理し、保護処分にするか刑事処分にするかの選択も、保護処分等の裁判の執行指揮も、記録の保管もすべて家裁が行うのです。2000年(平成12)年に少年法が改正される前は、検察官は審判に立ち会うことも、審判結果に不服を申し立てることも一切できませんでした。
 2000年の少年法の改正は、建前上は、少年審判手続、特に非行事実の認定手続の適正化と被害者の立場への配慮ですが、家裁の裁量による検察官の審判立ち会いと検察官の抗告受理の申立て権を認め、原則逆送事件を法定するなど、少年審判を刑事手続化するとともに、厳罰化の方向に動かしたと評価することができます。すなわち、保護主義の後退です。
 2005年の改正法案は、年少少年に対する福祉主義を後退させ、警察に触法少年とぐ犯少年の調査権を認めるほか、保護観察を自助援護から脅しによる監督に変えようとするものです。
 年少少年の非行が悪貿化しているとの見方から、福祉主義、保護主義が後退させられています。福祉と教育ではなく、脅しと制裁によって対処しようとする方向です。福祉国家、教育国家が行うべき政策ではありません。
 そこで、少年法について感じることは、日本国憲法や教育基本法についても同じですが、制定後、ほとんど本気で実施されたことがなく、一貫して改悪の動きに晒されてきたということです。少年犯罪が悪質化したのは、少年法が悪いからだ、少年法が甘いからだと、一部から言われ続けてます。それは、少年法を一度も真面目に実施しようとしてこなかった政治勢力が言うのですから、困るのです。
 少年法は、決して、甘くはありません。私は、少年審判に関わり始めたころ、収容処分について、こんなに重くて良いのだろうかと思いました。例えば、17歳の少年を中等少年院に送致すれば、20歳に達するまでは少年院に収容される可能性があり、普通に運んで、1年余りで退院しても、それは仮退院であり、戻し収容されることもある。しかも、心身に故障がある場合は、23歳あるいは26歳まで収容継続ができるという制度になっているのです。17歳から23歳までは、6年であり、26歳までは9年です。それに、昔は短期処遇過程というものがありませんでした。長期処遇一本で2年以内、通常1年2か月くらい収容されました。制度上はいつでも仮退院させることができたわけですが、適用が硬直化しておりました。裁判官もなかなか収容処分には踏み切れませんでした。私も、例外ではなく、収容処分はよくよくの場合に、仕方なしでした。収容人数が一番少なかったのは、昭和49(1974)年で、非行件数も少し減った時期ですが、年間1969人にとどまりました。最近は年間5000人前後です。
 とにかく、少年法の理念を意識的・闘争的に守らなければ、どんどん悪い方向に行ってしまいます。少年法はいつも危機に立たされていると思います。

2. 保護主義の危機
 少年法の危機は、「保護主義」の危機といってもいいと思います。
 現行少年法の理念は、非行のある少年の「健全育成」であり、教育による改善であります。処罰ないし制裁を加えることが目的ではありません。非行のある少年を保護の対象として育て直すことです。刑事政策の分野に入るとはいえ、社会福祉政策に近い分野だといえます。
 少年司法における保護主義とは、刑罰に先立って保護処分(少年院送致、児童自立支援施設又は児童擁護施設送致及び保護視察)で臨むという保護処分優先主義と、もっと広義に非行のある少年を更生させるためには処罰ではなく、教育を含む保護的手段によるべきであるという考え方を含んでいます。少年法1条の文言に習うと、「健全育成」主義と言うのが適当であろうと思います。現在、この「保護主義」が危機にあるのです。
 著名な刑事法学者である前田雅英箸『日本の治安は再生できるか』(ちくま新書2003年6月10日発行)の172頁に次のような文章があります。「『処罰より教育を』、一見もっともであるが、まさにこのような行き過ぎた対応が、戦後の少年犯罪を育ててきたといっても過言ではないだろう。そして、より重要なのは、『教育する主体』を戦後日本社会は徐々に壊してきてしまったことである。さらに、『犯罪を犯さない大量の勤勉な大人たち』が、暖かい目で非行少年を社会内で教育していくという、犯罪対応の構造を支える基盤が失われてしまったことを認識しておく必要がある。」という記述があります。しかし、戦後の政治が「処罰より教育を」をモットーに行われてきたことがあるでしょうか。一部の学者や実務家などがこれを主張し、実践に努めてきたことは事実ですが、常に無勢であり、大勢になったことは一度もありません。社会の「暖かい目」が育ったこともないといわざるを得ません。私は、裁判官当時、「少年院は全寮制の学校のような所であるから、しっかり勉強し、心も身体も成長させて、社会に戻ってきてほしい」と諭すのですが、いつも「世間の一部の目は冷たいかもしれないが、温かく見てくれる人も多くなっているから、心配しないで、頑張ってほしい」と付け加えざるを得ませんでした。
 著名な学者が「教育より処罰を」と言わんばかりの発言をすると、これに同調する者の声が大きくなります。少年司法の現場に身を置く者として感じることは、非行のある少年のほとんどは、特異なケースを除き、学校をはじめとする社会から落ちこぼれた者です。資質的に問題のない子どもがどんどん落ちこぼれ、非行化しています。ほっておけない状況です。国家も社会も「処罰より教育を」の原点に立って、連携して真剣に取り組まないと、わが国の未来はないように思います。
 厳罰化は、最も金の掛からない刑事政策です。また、人を大事にしない政策です。特に、子どもは成長する意欲を失い、ますますひねくれてしまうと思います。厳罰化で非行が減り、子どもが正常に成長するなら、そんな楽なことはありません。子どもは、社会の宝物として、大切に育てる必要があります。いくら大事にしても大事にし過ぎることはないと思います。甘やかされ過ぎて非行を犯す子どもは少ないし、犯しても大した非行ではありません。体罰を加えられたり、精神的に虐待されたり、放置されたりし、甘えられなかったりした子どもが、深刻な非行を犯す場合が多いと感じています。自分が大事にされないと、人を大事に出来ないといわれますが、それは真実だと思います。
 2005年の改正法案は、子どもを大事にしないで、「こわいお巡りさん」に渡すという制度です。警察官も市民の一員であり、別に「こわい人」ではありませんが、犯罪捜査と治安維持を任務とした国家の機関です。「やさしいお巡りさん」を通せるものではありません。
 改正法案には「専門的知識を有する警察職員」というものが出てきますが、こういう職種を設けるのなら、児童相談所や保護観察所の人員増加を因るのが正道だと思います。警察を使うのは、便利で安上がりですが、本当の効果があがらないばかりか、弊害が大きくなると思います。

3. 若干の問題
(1) 少年非行の現状の認識
 少年非行の形態は、時代とともに変化し、やはり心配な状況にあると感じています。ひったくり、親父狩り、加減のしらない集団リンチによる致死事件、発達障害のある子どもの突発的殺傷行為、そして、援助交際、薬物乱用、警察官や交番までいたずらの対象とする遊び型非行などなど、一昔前にはなかった非行態様です。
 たいした件数ではないとして軽くみたり、子どもたちが病んでいるからだと言って人ごとのように、傍観している時期ではないように思います。
 特に、弱いものいじめの非行が目立ちます。非行を犯す少年自身も弱い者なのですが、更に弱い者を対象にするのです。これは大人社会の反映であり、子どもたちに増幅して現れているのだと思います。

(2) 少年法「改正」問題の方向
 私の同期で、検事長まで昇進し、現在は法科大学院で教授もしていて、尊敬している人が、少年法の改正によって、いろいろな制度ができるのは、選択肢が増えることによって、工夫がてきるから好ましいのではないかと言うのです。例えば、触法少年については、ケースによって、児童自立支援施設に収容することも、少年院に送致することもでき、選択の幅が広がると言うわけです。
 法技術として考えれば、そうですが、単なる技術の問題ではなく、理念に係わる問題があると思います。福祉政策から司法政策・刑事政策への転換という本質的な問題です。
 改正少年法は、保護主義の理念に変わりはないと建前論では言われていますが、家裁の逆用によっては、これが変質していく可能性があります。

(3) 2005年の改正法案中の「保護観察中の者に対する措置」について
 保護司で、家裁の補導委託先にもなっている人が、ある講演で、この改正案に賛成する意見を述べていました。遵守事項を軽く見る被保護観察者が多く、保護司が苦労している現状を知っているからだと思います。これは意外でしたが、その人は愛情が深く、「脅し」と「見張り」で保護観察を行うような姿勢はまったくないので、弊害には考えが及ばない感じでした。

(4) 被害者保護の制度
 これはなかなか厄介なものです。先日、初めて付添人として少年事件に関与しましたが、被害者の両親が審判廷で意見陳述をしました。被害者の親友であった少年が、被害者に共犯者と一緒になって暴行を加え傷害を負わせたことを、涙を流しながら、非難し、どうして止めてくれなかったのかと責めました。これを聞いて、少年も母親も涙を流し、少年院送致の決定を承知せざるを得ない心境になったようです。わたしも、少年院はやむを得ないと考えていたので、結論に不服はなかったのですが、少年にかなりの衝撃を与えたようで、これが少年の成長に有効に働くのかどうか、少し不安を感じました。
 修復的司法の手法の研究も盛んになっているようですが、良い方向に行くことを期待しています。

(5) 少年非行対策の協働関係
 少年問題に関わる国家や自治体の各機関も民間の組織も、有効な範囲で協力し合うことが必要な時期にあるように思います。敵対していては、成果があがらず、消耗するだけだと思うからです。警察、検察、少年鑑別所、家裁、保護観察所、少年院、児童相談所、児童自立支援地設、弁護士などなど、少年の「健全な育成」に向かって協力することが大切です。
 私は、裁判官の立場から、他の機関を警戒ばかりしていました。最近は、批判したり、協力したり、助け合ったりし、バランス良く、動くのが良いと考えるようになりました。先日、或る大学の「子どもの人権研究会」では、「非行と向き合う親たちの会」の事務局長、元保護観察官、刑務所の矯正処遇官、大学法学部の講師などが出席してパネルデスカッションを行いました。非常に勉強になりました。
 最近、感じていることを口から出任せに話しましたが、これで終わります。

青年法律家協会 1954年、憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に、若手の法律研究者や弁護士、裁判官などによって設立された団体。(編集部注)

− 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (子どもと法21) − 関連サイト 事務局通信
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